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不登校の期間が長くなると、欠席中のプリント類や
連絡事項すら届かなくなっていきました。
県下随一の進学校。勉強にも完全に遅れてしまった私は、
学校から見捨てられてしまったのだと絶望しました。
欠席日数が足りないので留年ですといわれたとき、
私は退学を決意しました。
その後、私は心療内科への通院をしながら
大検(現在の高校認定試験)取得を目指し、見事合格。
その後は大学受験へ向けて勉強をしました。
この頃は本当に壮絶な日々でした。
特に、母にとっては本当に辛い時期だったのではないかと思います。
私は、過食してしまう度に家で暴れました。
食べてしまった自分への自己嫌悪と太ってしまう恐怖感、
将来への不安や焦りに対して自分の中でうまく対応できずに
パニックを起こし、家庭内暴力としてそれを表現してしまっていました。
物を壊し、窓ガラスを割り、カーテンを引き裂きました。
近隣の家に響き渡るような奇声をあげ、バットで壁を殴りました。
自分の髪の毛を切ったり、リストカットしたりもしました。
母親の前で包丁を持ち「なんで私なんか生んだんだ!死んでやる!」
と脅したりしました。
本当に、家の中は荒れ放題。
暴れ疲れてやっと心が平常心を取り戻すと、
私は自分がやってしまった現実にやっと気づき、
そして涙を流して母に謝っていました。
「すみません…。すみません…。」このままでは母に捨てられる…。
そんな想いが大きくなり、ますます自分を不安にさせました。
夜中、引き裂かれたカーテンから漏れて差し込んでくる月の光に、
何度も涙していました。
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